手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

安心(あんじん)

私たちは、申すまでもなく、命終わればお浄土に参らせていただくのですが、そのお浄土参りをさせていただくには、他力の信心を決定せねばなりません。
他力の信心とは、お浄土参りに安心することではなくて、助けねばおかぬとある弥陀のご親切に安心することであります。
真宗安心 加茂仰順 著 百華苑 P31より】



ここで留意するところは、死んだら誰もが極楽(浄土)参りではない、ということです。
ここでもありますように、「他力の信心を決定しているか否か」が重要です。
平たく言いますと、(わたしが)阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされるか否か、ということです。
「助けねばおかぬとある弥陀のご親切に安心する」とありますように、私たちは、南無阿弥陀仏のはたらきの真只中で生かされています。そのはたらきに気付かされるか否か、は紙一重ということもいえます。
蓮如上人は、
「当流真実の信心に住して、今度の報土往生を決定せずは、まことに宝の山に入りて手をむなしくしてかへらんにことならんものか」といわれています。
(宝の山におりながら、その宝を手にしないことは「勿体ない」という言葉で済まされるものではありません。)
今日も 生かされて 南無阿弥陀仏



宝の山に入りて(イメージ)