手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

教化

 教化というけれど、民衆に宗教心を与えるのではなくて開くのです。民衆は宗教心をもっておるんです。民衆自身がもう本願のなかにおるんです。だからそれを開くといっても、こちらの研究が開きはせんのです。こちらがこういう感銘をうけましたということが開くことになる。教えたって開けんのではないかね。向こうはまた分別をもつだけで、そうするとまた閉ざしはせんかね。
 自分の了解というものが、道を求めんとする人の縁となる。縁になるだけですわ。因にはなりゃしません。お互いにわからんもの同志が、わかりたいといい、わかろうとするのが我われとしてはいい世界ではないかね。すでにもっておるものを自覚してくるのですから。
【安田理深集 上 教学研究所 編 東本願寺 P190より】


きょう け けう− 【教化】
〔「きょうげ」とも。「教導化益(けやく)」の略〕
①人々に仏教を説いて,信仰に向かわせること。
②法要の際,声明(しようみよう)の節で唱えられる仏教の歌の一種。
Weblio辞書より



この文章を読んで、
「指月の譬」(大智度論:龍樹菩薩)が思い浮かびました。
以下、浄土真宗 長善寺ホームページからの引用です。
http://www.gujo-tv.ne.jp/~tyouzenji/index.htm


「指月の譬」 ※言葉(指)と真実(月)
人の指を以って月を指し、以って惑者に示すに、惑者は指を視て、月を視ず。人、これに語りて、『 われは指を以って月を指し、汝をしてこれを知らしめんとするに、汝は何んが指を看て、月を視ざる』、と言うが如く


ここで、教化は「道を求めんとする人の縁であって因にはならない」とあります。
善知識を縁として、南無阿弥陀仏阿弥陀さま)に依るしかありません。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏