手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

「浄土教の思想」に注目しませんか⁉️

 

 われわれは誰でも、本当は、何一つ頼りになるものを持たないところで生きています。家族をたよりにしているといっても、家族はいつ死ぬかもしれません。会社や組織を頼みにしているといっても、そういう状態は永続するとはかぎりません。私たちの財産や地位や名誉を、私たちは死の彼方にまで持っていくことは不可能でしょう。いや、日ごろ私たちが最後の頼りにしている、この私たちの個体の生命それ自体さえ、いつ私たちのもとを立ち去るかもしれないのです。私たちの存在の根底には、安心して足をつける何ものもありません。そこには一つの深淵(しんえん)が開かれています。私たちの人生は、そういう底無き深淵の上に成り立っているのです。それが、私たちが宇宙の中にある、ということの実相です。

 宗教とは、そういう人間存在の根本的な不安、人間がそれを忘れていようが否認しようが、変わりない事実から生まれてくる底知れない不安から脱却する途(みち)だと言えます。だから、宗教を持っても持たなくても各人の自由だ、というようなことは決して言えないことになります。いかなる人間も、宇宙の中に吸いこまれていく不安な状況をいかにして脱け出せるか、という根本的な課題を背負って生きているわけです。それは個人の主観的な思いを超えた生命そのものの要求であります。その生命の要求に答える宗教なくして、人間存在は真実には人間存在たり得ないのです。歴史上にあらわれた世界宗教はみな、このような人間存在の根本的な解決の途を、それぞれの教義の言葉で説いているわけです。なかでも、大乗仏教とくに浄土教の思想には、それについての深い洞察が見られると思います。

【宗教への招待 大峯 顯 本願寺 P13、P14より】

 

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ここでもありますように、

世界宗教は、「人間存在の根本的な解決の途(みち)」において、それぞれの教義の言葉で説いています。その数ある(世界)宗教の中でも、大乗仏教とりわけ、浄土教の思想には、「人間存在の根本的な解決の途」について、深い洞察が見られると思う、と結んでいます。私もそう思います。もっと掘り下げまして、浄土教の思想の中でも「浄土真宗の教え」に、より注目してほしい、と思います。そこに発見といいますか、気付きがあるかもしれません〜。

おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

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