手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

我を張る(自己中心)

 

(浄土真宗の)教えが理解できないと言うことは、たんに頭が悪いということじゃなくて、どこか心が素直じゃなく自己中心的だからでありましょう。これは特定の人だけのことじゃなくて、どこか心が素直じゃなくて、我々みんなにある抜きがたい傾向です。どうしても教えに自分の考えを加えて理解しようとする。真理の語っていることに、素直に聞くことができないで、どこか我を張るんです。我を張るから真理に出会えない。我さえ張らなかったらよいのですがこれがなかなかやめられない。我を張るというこの人間の抜きがたい自己中心性の習性から、人類史上初めて解放された人が釈尊です。

【『歎異抄』第十四条 念仏申さずしてをはるとも  大峯 顯 百華苑 P5より】

 

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素直になりなさい!と言われても、そう簡単に素直になれないものです(笑)。この地球上に、お釈迦さまがあらわれなかったならば、と思うとゾッとします。でも、その心配はありません。南無阿弥陀仏のはたらきに気づくか否か、ただそれだけです。ただそれだけ、ですがなかなか難しいところでもあります。

おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

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