手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

阿弥陀さま ⇒ 私(私は受ける側)


私たちは普通、阿弥陀が救済の糸を垂らして、それを掴むのは私たちの努力ないし力であると考えます。しかしながら真宗においては、私たちがもともと自分に属していると考えるその力は、まったく自分たちのものではなく、阿弥陀から来ているというのです。私たちはみんな有限な存在であり、私たちのうちには、阿弥陀の救済の糸のところまで、自分で自分を引き上げる力は何もないのです。この点において、私たちは絶対的に受動的です。すべては阿弥陀から来ているのであり、私たちが本当に目覚めて救われるのは、この絶対的受動性の真実、無条件的帰依の真実を認識するその時だけです。「他力」がすべてであり、「自力」は無だという。
【真宗とは何か 鈴木大拙 佐藤平顕明[訳]P244より】

 

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ここでは、「浄土真宗の教え」について、少しばかり難しい表現(言葉)で説明されています(笑)。簡単にいいますと、日々、南無阿弥陀仏のはたらきにつつまれて生活している私において、そのはたらきに気付かされた時が本当の目覚めの時(人として生まれてきて本当によかった〜)である、ということですね。阿弥陀さまに、ただおまかせ、あるのみなのでした。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

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