仏教には 「仏性未来 」という言葉があり 、親鸞聖人が 『教行信証 』の中に引用しておられます 。その場合の未来というのはなにかといったら 、どこまで行っても未来なのです 。やがて現在になるというものではありません 。どこまで行ったとしても 、それは未来としてはたらいてくるのです 。「未来として 」ということを言い換えますと 、 「向こうからはたらいてくださる 」ということです 。私がそれを手にして 、私のものにして 、そしてそれを力にして歩むのではありません 。そうではなくて、どこまでも向こうのはたらきかけ、仏からのはたらきかけとして、私の上にはたらいてくださるのです。向こうからはたらきかけてくださっているその願い、その心に私が本当に出遇っていけるかいけないか、それが救われるか救われないかの決め手になるのです。仏の願力、それは人の過去はいっさい問題にしません。その人の過去によってこの人を救ってやろうとか、この人はこんな過去だからだめだとか、そういうことは決してないのです。
【浄土真宗の教え -真実の教・行・信・証- 宮城 顗 真宗文庫より】
阿弥陀さまの救いは、老若男女、貴賤貧富を一切問いません。つまり、無条件の救い、平等の救い、ということです。ここで、過去はどうだった云々はまったく関係ない、といわれています。つまり、「このいま」が大事ということになります。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏