手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

浄土教の独特の宗教的境地

 

  妙好人と言われる人たちもその悲嘆懺悔(ひたんさんげ)と歓喜とをひとつに語っています。その歓喜は、煩悩は依然としてなくならないが、他面その煩悩の根が本願力によってたち切られたというところがあるからです。それが住正定聚ということです。そこに浄土教の独特の宗教的境地があるのです。
  聖人はそういう在り方を、決して断煩悩ということではない、罪悪深重の凡夫は煩悩をなくすることはできない、しかしそのままで無上涅槃に至ることが約束されている、と言われるのです。そういう世界に凡夫も聖者も五逆謗法の輩もいったん帰入すれば、諸川の水が海に入って同じ味になるように、等しい利益を得ることができる。
  如来の本願に帰することによって、自力疑心の闇が破られても、心におこる三毒五欲の煩悩がつねに真実信心の天をおおう雲や霧となる。しかし太陽を雲霧がおおっても、その下はいつも明らかで闇がないように、如来の慈悲の心より発する光はつねに私たちを照らしまもりたまうのであると、こういうことです。

 【親鸞 教行信証を読む 石田慶和 響流書房より】

 

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「煩悩をもったそのままで、無上涅槃に至ることが約束されている」という世界があると、親鸞聖人はご教示くださいます。これは、浄土教の独特の宗教的境地です。南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされた妙好人といわれる人たちも異口同音にその境地を語っています。先人のそういった言葉や証言はとても頼もしいです。
おかげさまで  今日も  南無阿弥陀仏

 

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