浄土真宗の信心は、救いの証拠の南無阿弥陀仏が今ここにわたしに届いていると聞くことです。理解してわかることや信じることではなく、救いの証拠の南無阿弥陀仏が届いているから大丈夫、ということを「聞いて知る」、それが信心です。疑いが差し挟まれる余地がそもそもないのです。
【ご信心は南無阿弥陀仏 石田智秀 季刊せいてん126号 P48より】
私の口から、理屈なしにお念仏(南無阿弥陀仏)がこぼれでたらしめたものです(笑)。報恩感謝のお念仏ともいいます。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏
本願寺出版より多くの書籍を取り寄せました。読書が楽しみです~