手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

善人(歎異抄第3条)とは(その1)

  「善人なおもて往生をとぐ 、いわんや悪人をや 」(意味:善人ですら往生をとげるのです。まして悪人が往生をとげられないことがありましょうか。)これは、歎異抄第3条の冒頭の言葉です。一般的に、悪人正機説として有名です。親鸞の教え、つまり、浄土真宗の教えを鋭い切り口で表現されています。また、誤解が生じやすい箇所でもあります。

  以下、歎異抄第3条でいうところの「善人」について、分かりやすく説明されていますので紹介します。

『歎異抄 』では善人のことを 「自力作善のひと 」といいます 。「自力作善のひと」とは 、どういう人のことでしょうか 。親鸞聖人は 「自力というは 、わがみをたのみ 、わがこころをたのむ 、わがちからをはげみ 、わがさまざまの善根をたのむひとなり 」といっています 。だから、「自力作善のひと」とは 、わがさまざまの善根 、つまり、自分の能力であるとか、財産であるとか 、教養であるとか 、地位であるとか 、名誉であるとか 、権力であるとか 、学歴であるとかの人生経験を絶対的にたよりにして 、どこまでも自分を正当化する人のことです 。

【歎異抄に学ぶ  尾畑文正  響流書房より】

f:id:tarou310:20190131165006j:plain

  「自力作善のひと」とは、簡単にいいますと、『自分に自信がある人』ということです。歎異抄でいうところの、「善人」です。世間一般的に「善人」といいますと、尊敬され注目される対象です。それは、人間の視点、つまり、倫理・道徳の視点でみればそうなのですが。。。

  阿弥陀さまの視点は、倫理・道徳では推し測ることはできません。人智を超えていますので。往生ということからいいますと、善人より悪人です。いうならば、自分の力ではどうにもならないと阿弥陀さまに委ねる人を悪人といいます。善人(自分に自信がある人)は、なかなか南無阿弥陀仏に向くことはできません。それは、自分に自信があるから、です。自分の力でなんとかなると思っているから、です。

  ここで、歎異抄第3条の「善人、悪人」を文字通り、つまり、倫理・道徳的な視点で解釈してしまいますと、意味が全く分からなくなってしまいます。

  阿弥陀さま視点で、歎異抄第3条を紐解くとスッキリします。

おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

f:id:tarou310:20190208162755j:plain