手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

会者定離(えしゃじょうり)〈投稿文〉

 別れは、突然やってきた。10年来の同僚が亡くなった。彼の若すぎる死を聞いて絶句した。はにかんだ笑顔で、私に呼びかける姿が思い浮かび涙した。別れにもいろいろあるが、死に別れほど辛いものはない。
 私の好きな哲学者である、故 池田晶子は、「生きること」について考えることが日課である、と公言していた。果たして、彼女がそのことについて回答を見出せたかどうかは不明であるが。
 「念仏者は無碍の一道なり」と親鸞が発した有名な言葉が歎異抄にある。その言葉に、「生きること」への大きなヒントがあると注目している。
 歳をとった者から順番に死を迎えるというルールがあるわけでもなく、自分の死を予測することは不可能だ。ただ一つハッキリしていることは、いま・ここで・私が生きているという事実だ。このことは、老若男女に関係なく平等である。彼の死は、「生きること」について、より深く考えさせる機縁となった。
 彼が、どういう思いで亡くなって逝ったか、今となっては知る由もないが、今までの感謝の気持ちを込めて笑顔で送り出したい。ありがとう。