手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

自分ワールド



 この図は何を表しているかというと、私が日・米・ブラジルで出会った浄土真宗の信者の様子である。全てとは言わないが、「阿弥陀仏の救いが有難い」という人の話をよく聞くと、こんな状態になっていることが多いように感じた。
 頭の中に小さな阿弥陀仏を作り、その阿弥陀仏に「必ず救うぞ」と言わせて、自分で安心しているのである。さらにその喜び(?)を、他人にまで広げようとする人もいる。
 頭の中で阿弥陀仏を作り上げるのは自力信心ですよ、1種の自己洗脳ですよ、それは親鸞聖人の教えとは違いますよと伝えるのだが・・・、「私の信心は本物だ」と強烈に思い込んでいる人には、何を言っても聞いてもらえない。しかし中には、話が通じそうな人もいる。
 そこで私は「頭の中で阿弥陀仏を作っているのは他力信心ではありませんよ」と、この図を使って説明することがある。
 すると、自分自身にかすかな違和感を抱いていた人は、正直に「私はこの状態なのかもしれません」と告白してくれる。
 ただし、その人が積極的な聞法を開始するかというと、必ずしもそうではない。自分の信心が間違っていることに気付きながらも、でも凡夫だからこんなものだろう、と誤魔化してしまう場合が多いようだ。
【仏教コラム『他力信心の世界』ミニ阿弥陀仏を作って安心しようとする人々 より】
https://ryuun18amida.blogspot.com/p/6.html



このイラスト(ミニ阿弥陀仏を作って安心しようとする人々)は非常に分かり易いです。主語は、『阿弥陀さまは、阿弥陀さまが、』であって「わたしは、わたしが、」ではありません。阿弥陀さまを私物化しているといいますか、阿弥陀さまの上に立っています。まさに、私大好き人間の特徴です(笑)。自分の理屈を自分の頭でどれだけコネクリ回してもなんの進展も解決もありません。阿弥陀さまにおまかせあるのみ、です。


おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏