「仏はいずこに」と仏を尋ねる心がお互いにありますが、仏はこれを遠くに探し求めても会えるものではありません。南無阿弥陀仏という名声の聞えるところ、そこにますますことを知るべきであります。名号によって仏に会うのであります。名号すなわち仏であります。名号を聞く時、仏はそこに、我前に立ちて在(まし)ますのです。自ら南無阿弥陀仏と称えて聞名するところ、そこに仏を知るのであります。
【正信偈講話 上 蜂屋 賢喜代(はちや よしきよ)P40より】
この文章を読んでいますと、
『青い鳥』(モーリス・メーテルリンク)という伝記を思い浮かべます。
いま・ここで・私は、南無阿弥陀仏のはたらきにつつまれて生きています。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏
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