手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

竹の幹の中にいる虫

 横超という他力の道を昔の人は竹の幹の中にいる虫にたとえています。竹の中に一匹の虫が棲んでいて、何とかしてこの竹から外へ出たいと思っている。ふと上を見たら節がある。そこでその節を自力で食い破ってその上へ出る。しかし、その上にもまたもう一つ節がある。これも食い破って上へいく。するとまたその上にもまたもう一つ節がある。このように竹幹をどこまでも縦に超えていって、そしてついに竹の外、つまり悟りの世界に出る。これが自力聖道の竪超の道です。
 それに対して、お念仏によって助かっていくという横超の道はどういう道かといったら、竹の幹を一番上へ超えないで竹幹の横腹に如来様が穴を開けてくださる道です。生死の竹幹に閉じ込められている一匹の虫のために如来様がお念仏の穴を開けて、その穴から虫を横へ出して下さるのです。如来様に助けていただくということはそのように横の方向に外へ出してもらうことです。竹の中の虫が外へ出るには何も上へ出なくてならないということはありません。横だっていいわけでしょう。竹筒の外はいたるところ仏界ですから、別に上へ出る必要はない。われわれ凡夫は永遠に竹幹の中でもがいている一匹の虫です。その虫を横へ出すという、すばらしい着想をされたのが因位の阿弥陀様です。
【『歎異抄』第七条・第八条 無礙の一道 大峯 顕 百華苑 P46、P47より】



非常に分かり易いたとえです。
私のことを、竹幹の中でもがいている一匹の虫、と表現されています。
阿弥陀さまは、そんな私のことを見透かされて、南無阿弥陀仏を用意されたのでした。
私はといいますと、南無阿弥陀仏とお念仏を称えるだけでした。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏