手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

南無阿弥陀仏のはたらきの中で生かされている

こういうことは清沢満之(きよざわまんし)も言っています。たとえば自分が原稿をすらすら書いているのは、阿弥陀さまが「書け」とおっしゃっているからだ。途中で書けなく止まってしまったら、それは阿弥陀さまが「少し休め」とおっしゃっているからだ。決して自分の頭がよいわけでも、悪いわけでもないというのです。私は、こんなに具体的に他力ということを実生活に即して語った言葉を、他に知りません。人間がやっていることはすべてそうでないかと思いますね。誰でも自分で何かを成し遂げようとして努力するわけで、それは人間のはからいなのですが、そのはからいをやめたときに阿弥陀さまのはからいがはじめて出てくるわけではなく、私のはからいのど真ん中に如来のはからいがはたらいているのです。はからいのままが、はからいのない世界なのです。これは鈴木大拙 師から学んだことです。
【科学技術時代と浄土の教え 下巻 大峯 顕 響流書房より】


清沢満之(きよざわまんし)
1863年8月10日(文久3年6月26日)−1903年(明治36年6月6日)
日本の明治期に活躍した真宗大谷派僧侶、哲学者・宗教家。
旧姓は「徳永」。幼名は「満之助」。院号法名は、「信力院釋現誠」。


鈴木大拙(すずき だいせつ) ※本名:貞太郎(ていたろう)
1870年11月11日(明治3年10月18日)−1966年(昭和41年7月12日)
禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。



阿弥陀さまは、常に、わたしに寄り添っておられる、ということです。
わたしの思いや計らいに全く関係なく、過去・現在・未来を貫いて寄り添っておられます。
この今、阿弥陀さまが寄り添っておられる証拠は、私の口からこぼれる「南無阿弥陀仏」のお念仏であります。
おかげさまで 今日も なもあみだぶつ



三世を貫く (イメージ)