手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

聞名の宗教

数多い宗教の中で浄土真宗の特徴を明らかにするうえで〈聞名の宗教〉という表現があります。それはどういうことかといえば、阿弥陀仏はわたしたちの認識を超えた絶対の真如ですから、煩悩におおわれたわたしたちが眼にすることはできません。その煩悩に明け暮れる凡夫の救いをめあてに仕上げられたのが名号です。名号とは仏の名前であり、また仏のわたしたちにむかっての名のりであります。したがってわたしたちが仏にあえるのは、ただこの仏の呼び声を聞く以外にありません。
無量寿経』に
その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん。至心に回向せしめたまへり。この国に生ぜんと願ぜば、すなわち往生を得、不退転に住せん。(「信巻」、『注釈版聖典』212頁)
と、この名号のいわれを聞き、この名号をもってわたしにかけられた仏の願いを信ずるときに喜びと報謝のこころがひろがるのです。
蓮如上人はそれをうけて、
いかに不信なりとも、聴聞を心に入れまうさば、御慈悲にて候ふあひだ、信をうべきなり。ただ仏法は聴聞にきはまることなり(『聞書』、『注釈版聖典』1292頁)
と語っておられます。
【学びの友12月号 聞名の宗教より 前半抜粋 清岡隆文より】



ここでもいわれていますように、
阿弥陀仏はわたしたちの認識を超えた絶対の真如」ですから、いくら自分の頭であれこれと理解しようとしても、理解できるものではありません。自分に目を向けるのでなく、阿弥陀さまに目を向けて頂きたいものです。そこには、開かれた世界があります。
な〜まんだぶつ な〜まんだぶつ