手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

『名号を聞く』とは

仏は、かかる不思議の名号が、十分に聞えるようなことがないならば、正覚を取らないと誓いたもうたのである。ところが吾々は、己に阿弥陀仏の名号を聞いたのであるから、吾々の往生は己に成就したことは分明である。この「きく」ということは、ただ大まかに名号を聞くということではない、本願他力の不思議を聞いて疑わないことを「きく」というのである。この名号を聞くということも、吾々の造作ではなくて全く本願他力によって催されるのである。たとい衆生往生の願が成就せられても、本願成就の名号を聞かなかったならば、どうして本願の成就したことを知るとはいえないのである。
【安心決定鈔入門 藤原教円 著  百華苑 P98より】 
※安心決定鈔 第十八願の文 本願の名号 「聞」の相状 より抜粋


安心決定鈔
蓮如上人が「四十余年が間、御覧候へどもあかぬ」とか、「金(こがね)をほり出す様な聖教」とか、「当流の義は安心決定鈔の義いよいよ肝要なり」とか仰せられた『安心決定鈔』は、われわれ末流を汲む誰しもが拝読せなければならぬ尊重すべき聖教であると思うのである。
※安心決定鈔入門 藤原教円 自序より


き く

食用菊(しょくようぎく)
菊の一種で、特に食用として栽培されている菊を指す。食菊とも。
料理のつまに使われるつま菊などの小輪種の他、花びらのみを食用とする大輪種がある。
【概要】
菊そのものは、古代より中国で延命長寿の花として菊茶・菊花酒、漢方薬として飲まれていた。その中でも食用菊は、苦味が少なく花弁を大きく品種改良された種。奈良時代に、日本で現在でも食用菊として栽培されている「延命楽(もってのほか・カキノモト)」が中国から伝来した。平安中期の927年に行われた延喜式典薬寮の中に「黄菊花」の名が示されている。食用としては、江戸時代から民間で食されるようになったとされており、1695年に記された『本朝食鑑』に「甘菊」の記述が見られる。また、松尾芭蕉は、菊を好んで食したらしく、1690年(元禄3年)晩秋に近江堅田で句に詠んでいる。
【生産地】
2008年の統計によると出荷量では、愛知が最も多く、次いで山形、福井、青森と続く。ただし、愛知県の食用菊は、刺身のつまなどに添えられる小菊がメインで、つまとしての小菊の国内生産9割を占める。ハウス栽培をメインとしており、年間を通して生産・出荷されている。花そのものを食べるために生産されている食用菊に関しては、山形が第1位で全体の6割を占める。黄菊など種は、ハウス栽培で年間を通して出荷されているが、もって菊は、晩生で収穫時期が限られ10月下旬から11月にかけて出荷される。
【フリー百科事典『ウィキペディア』より抜粋】