手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

寸歩不離

 生まれた時から、水中で生活している魚にとって水の存在は、当たり前のものです。魚にとって、水は切っても切れないものですが、水の存在を知らずに生活しています。知る知恵がありません。


 では、人間はどうでしょうか。
性別、年齢、学力、貧富等、ひとそれぞれですが、同じ空気を吸って生きています。空気はひとを選びません。だれにでも平等です。
 生まれた時から、空気を吸って生きている人間にとっては、空気の存在は当たり前過ぎて「私は空気を吸っている!」と意識して生活している人は希でしょう。
 人が生きていく上で、空気は必須の存在です。人は水や空気の存在を知る術があります。また、南無阿弥陀仏のお謂れを聞くことができます。
そこが、人と魚の大きな違いです。


 太陽の光によって、渋柿がいつのまにか甘柿に熟していくように、
だれもが、阿弥陀さまのお慈悲の光によってお育てにあずかり、やがて南無阿弥陀仏の身にさせて頂けるのです。報恩感謝のお念仏を称えさせて頂きたいものです。早いに越したことはありません。


 南無阿弥陀仏のおはたらきの真っ只中で生活している状況下において、南無阿弥陀仏のおはたらきを感じないで終える人生は、本当に勿体ないことです。


 南無阿弥陀仏 いつ聞くの? 今でしょ!


【寸歩不離】すんぽ-ふり
距離をおかず、すぐそばにいること。
また、非常に密接な関係にあること。
【goo辞書より】