手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

念仏の躍動

 「聞書」第九十五条には、念仏には人々に仏縁を結び、信心を得しめていく利他のはたらきが備わっているといわれています。
尼入道のたぐひのたふとやありがたやと申され候ふをききては、人が信をとると、前々住上人(蓮如)仰せられ候ふよしに候ふ。なにもしらねども、仏の加備力(かびりき)のゆゑに尼入道などのよろこばるるをききては、人も信をとるなり。
といわれたものがそれです。
 難しい法義も知らず、説くこともできない人たちであっても、弥陀をたのみ、まかせきって、「たふとや、ありがたや」と念仏している姿が、人びとに信を得しめていくというのです。称えている人は、「私のような浅ましいものをお助けくださるとは、何という有り難いご本願であろうか」と念仏しているだけです。しかし、如来にすべてをまかせて、救われた喜ぶがあふれているような人を通して、如来の救いの確かさが伝えられていくのです。その人を救うた法の威力が、周囲の人々をよび覚ましていくのです。
 それは、救われた人の念仏には、苦悩に沈む人間を救うて、生き生きとよみがえらせていく、如来の大悲の力が躍動しているからです。その仏徳が、有縁の人々をよび覚まし、教化していかれるのです。このように、本当に救われた人の念仏は、その人の思いを超えて、自身も仏徳によび覚まされ、有縁の人々に仏徳の尊さ、有り難さを思い知らせていきます。いわば阿弥陀如来は、信心の行者を拠点として、その仏恩報謝の念仏の声となって、大悲の救済活動を煩悩業苦(ぼんのうごっく)に示現されていくのだともいえましょう。
【光をかかげて  -蓮如上人とその教え- 梯實圓 本願寺 P236~P238より】



「念仏には人々に仏縁を結び、信心を得しめていく利他のはたらきが備わっている」
ありがたいことであります。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏