手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

縁のある人々を引きよせる楽しみ

 第六の、縁のある人々を引きよせる楽しみというのは、人間がこの世にいるあいだは、心で願っても思うようにはならないのです。木々は静かになろうとしても風がやんでくれないし、子は親に孝行を尽くしたいと思っても、親はいつまでも生きていてはくれません。たとえ真心を尽くしても、限りある力では、貧乏生活にすら堪えることもできません。君主と人民、師匠と弟子、妻子、友人といった人々や、あらゆる恩を受けた人々、一切の知人などの場合もみな同じことです。空しくおろかな愛欲の心を悩ませて、いよいよ輪廻の原因をふやすことになるのです。
 まして罪業の結果が別々で、生まれた世界が違ってくると、六つの世界のどこに、どんな姿で生まれたのかさえ全くわかりません。動物や鳥などは、どうしてもとの両親がわかるでしょうか。だから『心地観経』には次のようにあります。
 「世間の人は、自分の子のために多くの罪をつくり、三悪道に落ちて、長い間苦しみを受けても、子供たちは聖人でないので神通力がなく、輪廻の世界を見ることができないので、親の恩に報いることがむずかしいのです。人間が輪廻して六つの世界に生まれるのは、ちょうど車の輪のように限りがありません。人間は互いに親となったり子供となっていて、長い輪廻のあいだには、恩を受け合っているのです」と。
 ところが、もし極楽に生まれると、知恵がすぐれていて神通力をそなえているので、過去の無数の世において恩を受けた人々や知人たちを、思いのままに引きよせられるのです。天眼(てんげん)通でその人々の生まれた世界を見つけ天耳(てんに)通でその人々の声を聞き、宿命(しゅくみょう)通で過去に受けた恩を思い出し、他心通でその人々の思っていることを知り、自由に変身できる神通力で種々な姿になり、巧みな手段の力でその人々を教え導くのです。だから、『平等経』には次のようにあります。
 「極楽の住者は、すべて自分の過去世のことを知っており、十方世界の過去・現在・未来のことを知っており、それらの世界に住む天人・人間から、空にとび地にうごめく虫などの、思ったり、いいたいことまでを、すべて知っているのです。そして、これらのものがいつの時代のいつごろ極楽に生まれ、菩薩の道を実践し、阿羅漢の悟りを得ることになっているのかをもあらかじめ知っているのです」と。
 また、『華厳経』の普賢菩薩の願いには、次のようにあります。
 「どうぞ私が死ぬときには、すべての障害を取り除いて、直接、阿弥陀仏を見ることができ、その安楽なる世界に生まれることができるように心から願っています。もし私が極楽に生まれたなら、ただちに、すべての人々を一人残らず救うというこの大きな誓いを必ず完成します」と。
 全く関係のない人々でも救うというのです。まして、縁のあった人々ならなおさらでしょう。竜樹の作った詩には、次のようにいっています。「けがれなき美しい光が、一瞬のあいだに、しかも同時に、すべての仏たちの説法の場を照らして、多くの人々に利益を与えるのです」と。
源信 往生要集 花山勝友 訳 徳間書店 P185〜P187(往生要集 巻上)より】



恵心僧都源信の『往生要集』といえば、まず、「地獄絵図」が思い浮かびます。
経典を根拠に、リアルに描写されています。
今回、採り挙げさせて頂いた箇所をみますと、
南無阿弥陀仏の身にさせて頂いた人」は、寿命尽きて仏に成らせて頂くと、自分の過去世をはじめ色々なことが分かるのですね。
そして、なによりも「還相回向のはたらき」の仲間入りをさせて頂ける。
なんと有難いことでしょう〜
ウンウンと頷きながら、拝読させて頂きました。南無阿弥陀仏