手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

自ら難しくしている

※原文
【五七】律宗の用欽のいはく、
「法の難を説くなかに、まことにこの法をもって凡を転じ聖となすこと、なほし掌(たなごころ)を反(かえ)すがごとくなるや。大(おお)きにこれ易かるべきがゆゑに、おほよそ浅き衆生は多く疑惑を生ぜん。すなはち『大本』(大教・下)に〈易往而無人(いおうにむにん)〉といへり。ゆゑに知んぬ、難信なり」と。


※現代語訳
【五七】律宗の用欽がいっている。
阿弥陀仏の教えを信じることが難しいと説くのは、まことにこの教えは、凡夫を転じて仏とすることが、ちょうど手のひらを返すようだからである。きわめてたやすいから、かえって浅はかな衆生は多くの疑いを生じる。そこで『無量寿経』には〈浄土は往生しやすいにもかかわらず、往生する人がまれである〉と説かれている。このようなわけで信じることが難しいと知られる」
【顕浄土真実教行信文類(上)親鸞聖人 集 原文・現代語訳 本願寺出版社P396〜P399 より】



南無阿弥陀仏はすでに、ひとりひとりそれぞれに届いています。
それにもかかわらず、私(自分)のはからいという、短いものさしで、模索し続けていても意味がありません。
宝の山に入っているにもかかわらず、宝ものを手にしないことは、まことにもったいないことです。
阿弥陀さまと真向きにさせて頂くことが肝要です。


頭の中でこねくり回す (イメージ)