手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

何のために生まれ、生き、死んでいくのか?

方一尺の天地
水馬しきりに  円を描ける
なんじ  いずこより来たり
いずこへ旅せんとするや?
ヘイ!忙しおましてナ!


 これは、村上志染という詩人の「水馬」という題の作品です。前段のまじめな調子と最後の一行とのギャップがユニークで、印象深い詩です。
 私たち人間が忙しい忙しいとかけずり回っている毎日も、仏様から見れば、ミズスマシが「しきりに円を描ける」のとなんら変わりありません。「方一尺の天地」、つまり三十センチメートル四方程度の空間で、あくせくと走り回っているようなものなのです。
 「おまえは、どこから来てどこへ行くのか?何のために生まれ、生き、死んでいくのか?」と、ふと疑問に思う瞬間が、誰にでもあります。けれども、それは簡単に答えが出るような問題ではありません。そこで面倒になって、「そんなことを考えている暇はない。その時間があったら、仕事をひとつ片付けられるのではないか」と考える。そうして日々が暮れていく−。そんな人間の姿が、最後の関西弁の言葉から滲み出てくるようです。
 はたして、それでいいのでしょうか。どんなに忙しいといったところで、「方一尺の天地」であがいている身です。
 浄土真宗の中興の祖といわれます蓮如上人のお手紙に、「白骨章」と呼ばれているものがあります。そのなかに、大変有名なこんな言葉が出てまいります。


 朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり


 朝には大変元気であった者も、夕方には死んで骨になるかもしれないという、人間のはかなさを語られているのです。
 この言葉に思い馳せると、忙しいという理由で自ら振り返ることから逃げ回ることが、自分のためになるとは思えません。ときには、「なんじ いずこより来たり いずこへ旅せんとするや?」と自分自身に問いかけ、そのことをじっくり考えてみるゆとりが必要なのではないでしょうか。
【朝には紅顔ありて  大谷光真 角川文庫 「あなたはどこから来たのでしょう」より抜粋P97、P98】



著者の思いが伝わってくるお勧めの文庫本です。
簡潔な文で、なおかつ読者に分かり易く伝えよう、という意思が伝わってきます。
こういう文章を書きたいものです。