手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

流れのままに

生きて行くためには、何か目標に向かって努力していくのが普通です。
生活するには、当然、お金を稼がなければなりません。
成績を上げるには、日々、コツコツと勉強しなければなりません。
スポーツにしてもそうです。オリンピック選手に選ばれる人は、大概、小さいころから夢に向かって努力してきた人でしょう。
私たちが生き抜いていくには、なにか目標を定めてそのゴールに向かって、いろいろ試行錯誤して努力していくのが当たり前になっています。
そんな生活が染みついているからでしょうか?
どうしても自分が、自分が、と自分中心になってしまうのでしょうか?
あ〜だ、こ〜だ、と自分のはからいの大渦から逃れられないのでしょうか?


浄土真宗は他力の教えです。親鸞聖人は本願力回向と教えてくださいます。
世間の常識で、はからうことは不可能です。だから、阿弥陀さまのお救いは不可思議といわれるのです。
阿弥陀さまの一方通行のおはたらきに、素直に「ありがとうございます!」と、ご信心を賜らせて頂くだけです。
阿弥陀さまは、この今も「あなたを必ず救います!」と絶えず呼びかけられています。
すでに、南無阿弥陀仏は用意されています。阿弥陀さまがそうおっしゃられているので間違いはありません。阿弥陀さまがおっしゃられているのですよ。ウソではないのです。
繰り返しますが、すでに南無阿弥陀仏は用意されています。言い換えれば、すでに南無阿弥陀仏につつまれているのです。
ということは、阿弥陀さまと私の間に距離はありません。阿弥陀さまはピッタリひとりひとりに寄り添っておられます。
ですので、素直に「ありがとうございます!」と南無阿弥陀仏を賜らさせていただけばよいだけです。
あくまでも、主語は阿弥陀さま。「自分は」「私は」ではありません。
自分の脳ミソをどれだけコネクリ回してもなんの解決にもなりません。私がどれだけはからっても全く意味がありません。
阿弥陀さまに向かわせて頂かねばなりません。
阿弥陀さまに自分から向かっているように思いますが、実は、阿弥陀さまに向かわされているのです。なにもかも阿弥陀さまのおはからいなのです。
まことにありがたいことです。なむあみだぶつ。