手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

布教

布教とは仏徳讃嘆である。何も自分の学問研究を発表するものでもなければ、社会政治などを論ずるのでもない。
ただ弥陀如来のお慈悲の広大さと、その救いの確かさを告げて、同朋同行とともにその救いを慶んでいくのである。
したがって布教内容もその救いが中心でなければならないのはもちろんであるが、同時に、次のようなことに注意すべきである。


1.布教の内容の中心は弥陀の救いであるのだから、一座の法話に救いがなければならない。たとえ連続の話を考えていても、その中で一座一座が完結するように構成すべきである


2.浄土真宗の布教はいつでも臨終説法でなければならない。この臨終法話の内容が安心であり、それは、いま・ここで・この私が救われる平生業成の教義である
安心があって初めて法話といえるのである。


3.常に聖教に照らして、信心正因・称名報恩という御常教をふまえて布教を心がけるべきである


4.衆生の罪悪をいいつのるだけの「機ぜめ」の布教はよくない。
この「機ぜめ」の布教には救いはないのであって、むしろ、法体独用の救いを告げることを第一としなければならない。
【布教を志す方々へ 山口教区布教団 青年布教使の会 編 探究社 P44,45より】
※第五節 布教の内容について 1〜12より1〜4を抜粋


【手品師コメント】
まったくその通りですね!