手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

阿弥陀仏の実在について

【質問】
阿弥陀仏の実在について聞かせて下さい


【回答】
 釈尊の実在は分かるが、弥陀の実在が認められないということを申される方があります。
釈尊の実在を認めながら、どうして弥陀の実在が認められないのでしょうか。その認めている釈尊の実在は、歴史的によって明らかだとし、弥陀の実在は釈尊の説かれたものだから、歴史的な証明が出来ず、それで結局釈尊の理想を人格化したものに過ぎないとするのです。果たしてそうでしょうか。
 ここで是非申しておかねばなりませんことは、阿弥陀仏は人間の立場で人間の思いつきをまじえて示されたものではなく、また単なるこの世の歴史の事実でもなく、釈尊が弥陀の心になって(弥陀三昧)示された法界の事実であるということからです。従って、阿弥陀仏に関するその表現は人間界の形を借りたものですが、あらわさんとするものは法の世界の事実であります。
 私共が阿弥陀仏の実在を認めようが認めまいが、それらの人間の概念を超えた絶対的真実の実在が阿弥陀仏です。それを概念的な自分の意識の中に認めようとすることは間違いです。それでは少しも分からないかというと(そうではありません)。私共を超えて実在される阿弥陀仏は、阿弥陀仏から直接与えられる「真実信」に於いてのみ味得されるのです。 
 だからそのことは阿弥陀仏の実在を先ず確立しておいて、それを認めていこうとすることではなく、その(阿弥陀仏の)本願のいわれを聞く者には、現に今新しく、いきいきとせまってくるのであります。
 その阿弥陀仏の真実が、釈尊の上に大無量寿経の教説となって現れ、更に七高僧を貫き、また親鸞聖人のお取次となって聞かせて頂くことであります。この法界の事実は永い歴史の中に、すべての衆生の救いとなって活動されているのです。 
※一部、旧字等変更
【安心座談 −お救いのみち− 加茂仰順 著 百華苑 P7〜P9より】



阿弥陀さまの存在は、この今はたらいている南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされることで味得されるということです。その証拠は、私の口からこぼれる「南無阿弥陀仏」のお念仏であります。
私の概念を超越したものにおいては、その超越したものに委ねるしかありません。私の思いや計らいをアレコレと、(私の頭で)どんなに詮索しても進展はありません。
おかげさまで 今日も なもあみだぶつ



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