手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

いま ここで 私が

選択本願念仏集』「本願章」の易の徳をみると、


……今、念仏を勧めることはこれ余の種々の妙行を遮せんとには非ず。
ただこれ男女貴賤行住坐臥を簡ばず、時処諸縁を論ぜず、これを修するに難からず、
乃至臨終に往生を願求するにその便宜を得ること、念仏に如かざればなり。……


とあり、
念仏は誰でも、どこでも、いつでも修することが可能である。
さらにこの文を追求すると、
いつでもは今、どこでもはここ、誰でもはこの私といわれる。
【他力本願ということ 稲城選恵 国書刊行会 P26より】


遮…排すること  
行住坐臥…歩くこと、とどまること、すわること、臥すること
簡ばず…区別しない
時処諸縁…時間や場所、さまざまな条件
浄土真宗聖典 七祖篇(註釈版)P1208,1209参照


【手品師コメント】
南無阿弥陀仏は、『時処諸縁を論ぜず』です。
まことにありがたいことです。
なむあみだぶつ。