こうでなければとか、ああでなければと言っているうちは、救われてはいないのです。
地獄などまっぴらごめんだ、どうしても極楽へ往かねばならない、と思っているひとはまず救われない。
蓮如上人も同じことを指摘しています。
「極楽はたのしむと聞て参らんと願ひのぞむ人は仏にならず」(『蓮如上人御一代記聞書』)
と言うのです。
この世はつらい所だけれども、極楽へ往けばさぞ楽しみが満ちあふれているだろう。こんな料簡の人は残念ながら極楽へは往けまい、と蓮如上人は言っています。そういうものは信心ではなく横着心だからです。
自分が本当に救われない凡夫だということが本当にわかっていない。自分はまだ大丈夫と思っているから、極楽へ往かねばどうにもならぬと思ったりするのでしょう。
極楽などどうしても往きようがない私だからこそ、極楽へ往くことができるのです。
救われない者が救われるというのが仏智の不思議です。
【親鸞のコスモロジー 大峯 顯 法蔵館 P39より】
【手品師コメント】
『極楽などどうしても往きようがない私だからこそ、極楽へ往くことができるのです』
まことにありがたいことです。なむあみだぶつ。