仏を信じるということは、「おまえを必ず救う」と言っている仏の声が聞こえたということです。聞こえたら助かる。聞こえたことが助かったことです。これはけっして比喩ではありません。仏さまがわれわれを呼んでいるということはけっして比喩ではない。
親鸞聖人が、帰命とは「本願招喚の勅命」だと言ったのは、仏さまが私を呼んでいるように思うということではないのです。文字どおり実際に呼んでいるという厳然たる事実を言っているのです。
【親鸞のコスモロジー 大峯 顯 法蔵館 P219,220より】
【手品師コメント】
「仏さまが私を呼んでいるように思う」ということは、まだまだ自分のはからいです。
本当に阿弥陀さまにまかせきっているのであれば、なにも思う必要はないからです。
そこに、阿弥陀さまの存在はありません。
申し訳ないことです。