ある日、教祖さまが、「阿弥陀さまに救われたい!」と願っている人々の前にやってきて、こんなことをいいました。
教祖:「阿弥陀仏に救われたいならば、このわたしのいうことを100%聞きなさい。そうすれば、間違いなく、助かります!そのかわり代金として、金貨千枚をちょうだいします!」
助かりたい人:「おお、願ってもありません。金貨千枚どころか、二千枚でも一万枚でもお払いします!」「なんとか、阿弥陀さまに助けて頂く方法を教えてください!」
教祖:「けっこう。ではさっそく、助かる方法を教えましょう!」「まず条件として、わたしのいうことは絶対服従ですよ!」
助かりたい人:「教祖さまのいう通りにすれば、阿弥陀さまに助けて頂けるのであれば、なんでもいうことを聞きます!是非、助かる方法をご教授ください!」
教祖:「わかりました。では、まず善をしなさい!」
助かりたい人:「善をすれば助かるのですか?」
教祖:「善は、阿弥陀仏の救いとは関係はありませんが、信仰は進みますよ!」「だから、一生懸命、善をしなさい!」
助かりたい人々は、この矛盾に何の疑いももつことなく、教祖さまの言う通り、ただひたすら善という名のたくさんのお布施をしたのです。
このように教祖さまは、魔法の話術で、多くの助かりたい人々を巧みに扇動したのでした。
阿弥陀さまに救われたい人々の結末はというと、この世の財産をすべて失うどころか、再び迷いの世界に舞い戻ってしまったそうです。 おしまい
【手品師コメント】
阿弥陀さまのお救いは「仏願の生起本末を疑いなく聞く」ことです。
善をすることは、阿弥陀さまのお救いとは全く関係ありません。
当たり前ですが、阿弥陀さまのお救いをお金で買うこともできません。
阿弥陀さまに向きなさい!と導いてくだるのが善知識です。
阿弥陀さまのお救いは、「無条件」ですよ!と説くのが善知識です。
阿弥陀さまのお救いは、「このいま」ですよ!と教えるのが善知識です。
それに反して
自分(教祖)に向きなさい!というのは悪知識です。
阿弥陀さまのお救いを、善をしたなら、布施をしたなら、と条件をいう人も悪知識です。
助かる方法とか、助かる道程とか、救いに時間がかかるようなことをいう人も、これまた悪知識です。
悪知識は、ホラ吹きです。