手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

阿弥陀さま視点

善悪のふたつ、
総じてもつて
存知せざるなり

(私は善と悪、二つの事柄について何も知らないのだ)
『歎異鈔』後序


(注釈)
親鸞ほどの人間がものの善悪がわからない、というのだろうか。しかしここでいう善悪というのは一般的な善悪のことではない。仏の目から見た善悪のことをいっているのだ。われわれの考える善や悪は、「自分の都合」を通して判断しているようなものである。本当の善とは何か、悪とは何か、仏でなければわからないのではないか。「自分の都合」で構築されたこの世のすべては嘘偽りにまみれたものだ。だからこそ親鸞は何が善で悪なのかわからない、といったのだ。
親鸞 100の言葉 釈撤宗(監修) 宝島社P38,P39より】



ここでいわれている「善悪」は、仏さま(阿弥陀さま)からみたものです。「自分都合の視点」は大きな弊害を生みます。また、自分視点はどうも不安で安定しません。何事も、仏さま(阿弥陀さま)視点で物事を捉えていきますと、私の視野は広がります。「わたしは、わたしは、」を少し横に置いときまして、「仏さま(阿弥陀さま)は(私を)どう見ているのか」という一歩引いた視点で自分を見つめ直す余裕が大事だと思います。仏さま(阿弥陀さま)視点という大きなスケールで自分を客観視することはとても大事なことだと思います。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏