浄土真宗の「信心」とは、私が信じる心ではなく、「阿弥陀仏の救いのはたらきを、疑い無く受け容れた心」のことを言います。
例えば、赤ちゃんは、お母さんを信じて抱かれているのでしょうか。信じるとか疑うとかいうことを超えて、まかせきっているのです。「お母さんですよ」という声を通して、「お母さんはここにいますよ。大丈夫だから安心してまかせなさいよ」という、母親の心を受け容れた姿なのです。
それと同じように、南無阿弥陀仏という言葉(喚び声)を通して、「我をたのめ、必ず救う」という阿弥陀仏の心(本願)を受け容れた心が「信心」なのです。
【高校生からの仏教入門 釈尊から親鸞聖人へ 小池秀章 P186 】