手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

罪の沙汰は無益なり

(三九)罪の沙汰は無益なり
仰に、一念発起の義、往生は決定なり。つみけして助たまはんとも、つみけさずしてたすけたまはんとも、弥陀如来のはからひなり。つみの沙汰无益なり。たのむ衆生を本とたすけたまふ事なりと、仰られ候なり蓮如上人御一代記聞書より)


【解説より抜粋】
蓮如上人は、滅罪とか救いは弥陀の御はからいであって、愚かな凡夫である私たちがはからうことではない、とさとされ、とかく自己の罪の沙汰にとらわれて、弥陀の救いを仰ぐことが忘れがちになっていることを戒められたのです。罪の問題に悩む人に対するまことに適切なご教示であるといえましょう【現代語訳 蓮如上人御一代記聞書 瓜生津隆真 大蔵出版P78より】


【手品師コメント】
罪悪感(あるいは無常感)を突き詰めていった先に阿弥陀さまのお救いがあるのではないのですよ!間違いですよ!阿弥陀さまに向かわせて頂くことが大事なんですよ!というお諭しのお言葉だと受けとらせて頂きました。
救いは、阿弥陀さまの御はからいであって、わたしのはからいは全く関係ないのですね。
最近、「御一代記聞書」を味わいさせて頂いています。