手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

私のはからいが全部とられたとき

如来の方から、この私へと、救いの法としての六字の法が、あらわれてくださるのである。
この六字の法のよび声を、私が握ったのではなく、たしかめたのでもなく、その握ろうとする計らいの心がとりあげられて、すなおによび声の聞こえたことである。
むしろ、すなおに聞こえたというときは、私のはからいが全部とられたときである。
真宗の信心 加茂仰順 和上 探究社P11より】


【手品師コメント】
南無阿弥陀仏を、私の方からから握りにいくようなものではありません。
よび声といっても、五感でいう声がはっきり聞こえるのではありません。