安心は憶念であって、自分の心に覚えがなくとも心の中には、立派に受けとられてあるのであります。わが心でありながら、自分の心の中に、そのような信があるか、どうかは知ることができません。ただ如来様のみがこれを知られるのであります。しかし、そのよ…
ここで、加茂和上は『 そのようなことはわからなくともよい 』といわれています。 普通に考えますと、「阿弥陀さまから信心を賜れば、当然、わからせて貰えるでしょ?」となろうかと思います。「えっ!どうして?」と訳が分からなくなります。 私なりの回答…
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