手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

極重悪人の自覚 (深川倫雄 和上)

お説教じゃ、お坊さま方が、いともたやすく「あなた方は罪が深い、あなた方は罪が深い」
と言いますけども、あれは問題だと思います。
それはですね、無量寿経の阿弥陀さまのお救いを説かれてある文、弥陀文。大無量寿経の2/3を占める部分でありますが。その阿弥陀さまが救うぞよ!というお説教の中には一語も衆生の罪は深いとはないんです。
これを書物などを拝見しましてですね、そこにあることを考えることは楽ですけれども、そこにないことにも気を付けなにゃならんと思いますね。
弥陀文には、お救いのみが説かれてあって「あなたの衆生の罪は深い、あなたは罪が深い」ということは一語もない。それが、お釈迦さまの説法であった。
しかるに我々は、説法になるというと、すぐ、あなたは極重悪人と申しますが、仏さまはそうお見抜きになった。極重の悪人だとお見抜きになったから「大急ぎでこれは救わねばならん」と救いが告げられた訳でありますね。
我々自身は、いわれてもいわれても極重悪人とはなかなか思いません。
思うが思うまいが、仏さま側からいうと極重の悪人とご覧になった。
ご覧になった。なぜ、告げないのか?
罪の重いものに罪を告げてなにが生産されるか。
罪の重いものを救うのが忙しいのであります。
【正信偈講話 源信章八句(対談形式)CDより】


【印象に残ったところ等・・・】
弥陀文には、『お救いのみ』が説かれている(衆生の罪は深い!という言葉はない)
仏さま側からいうと極重の悪人とご覧になった(私自身は、極重の悪人という自覚は微塵もありません。ハッキリいってお手上げです)
罪の重いものに罪を告げてもなにもならない(確かにそう思います)

⇒阿弥陀さまに、ただただ、そのまま、おまかせさせて頂くしかありません。南無阿弥陀仏。

f:id:tarou310:20190402092900j:plain