手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

信心といっても

信心といってもそれは、「汝(なんじ)を引き受ける、助ける」との仏の仰せ一つがそのつど実感的にまことと有難く感じられる外にはない。信心を自分の心に確かめる必要もないので、信心を得たということを意識することもいらないのであった。
【佛に遇うまで 土井紀明 響流書房 より】



いうなれば、
炎天下に身を置いている者が、「今日の天気は晴れです!」と敢えて確かめる必要はない、ということです。でてくる言葉は、「暑いなぁ〜」というフレーズでしょう。「暑いなぁ〜」という言葉は、その炎天下に身を置いている状況を受けてのもの(言葉)です。
同様に、
南無阿弥陀仏のはたらきに包まれて生活している状況下におきましては、そのはたらきに気付かされますと、「南無阿弥陀仏」という報恩感謝のお念仏がでてきます。至って、自然な流れです。そこに、(私は救われているのだろうかと)敢えて確かめる必要はありませんし、確かめようとしたところでなにかあるのでもありません。ただ、お念仏を称えるだけでした。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏