手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

先入観

意識を支配する先入観
急な勾配の坂道で、重い荷車を引っぱり上げようとしている人がいる。もう一人がうしろからその荷車を押し上げるのを手伝っている。前で車を引いている人に、「うしろで車を押しているのは息子さんですか」ときくと、「そうです」と答える。うしろに回り、車を押している人に、「前で車を引いているのはあなたのお父さんですか」ときくと、「違います」と答えた。二人の返事には嘘はない。二人の関係は?
答えはこうである。
前で車を引っぱっているのは、うしろで押している人の母親であった。急な勾配の坂道、重い荷車を引くというだけで、無意識のうちにその人物を男性と思いこんでしまうのだ。


そのとき牛はどうしたか
牧場に一本の杭(くい)が立っている。そこに一頭の牛がいる。牛の首には長さ三メートルのロープがついている。牛の周辺には牧草はなく、牧草が生い茂っているのは牛のいる場所から五メートル先である。牛はどうしたか?
答えはこうである。
「牛は五メートル先まで歩き、牧草を食べた」のである。牛の首にロープがついているが、「杭にくくりつけてある」とはいっていない。しかし、無防備にこのパズルを出題された人は「杭」「牛」「ロープ」という単語を並べられただけで、無意識のうちに杭にくくりつけられた牛を頭のなかに描いてしまう。


よくみえるものは見えない
チェスタートンのブラウン神父シリーズのなかに途方もなく大きい凶器が出てくる。大きすぎるためにかえって人が見逃してしまうのである。その凶器とは地球であった。
ブラウン神父はいう。
「殺した道具は、巨人の棍棒(こんぼう)、眼に見えぬほど大きな緑の棍棒で、その名は大地というわけですよ。」(福田恆存・中村保男 訳)


『青い鳥』の教訓
メーテルリンクの『青い鳥』で、貧しい木こりの子チルチルとミチルの兄妹は、思いでの国、夜の世界、未来の王国、死の国など長い巡歴を重ね、探し求めた幸福の青い鳥は、自分の家に飼っていたハトであることがわかる。メーテルリンクはこの作品で、幸福は所有するものでなく追い求めるものだといおうとしたというのだが、わたしには身近なところほど見えないという寓意として受け取られる。


この章の要約
1.習慣や日常見慣れているものが、価値判断を超えて先入観を形づくり、観念を支配する
2.先入観はその人かぎりの尺度をつくり、思考をワクのなかにはめこむ。
3.大きすぎるもの、身近にあるものはかえって見えない
4.見落とされた共通性、法則性は柔軟な思考によって発見される。
【ジョークとトリック 講談社現代新書 織田正吉 P19〜39より抜粋】


この本を読んでいまして、
「(わたしが)南無阿弥陀仏のはたらきに気付かされる」ということについて、参考になる内容と思いましたので紹介します。
私の先入観、つまり、自分の思い込みほどアテにならないものはありません。今まで、自分の力で生きてきた自信やプライドは、生きていく上では大きな武器にはなりますが、阿弥陀さまの救い、という視点からみますとハードルになっているのかもしれません。
ここでもありますように、何事も自分の枠(ワク)でしか捉えられない背景や状況になってしまっているのでしょう。
『青い鳥』は個人的に大好きな童話です。
「魔法使いのおばあさんは二人(チルチルとミチル)に、しあわせはすぐそばにあっても、なかなか気がつかないものだと教えてくれたのです。」と締めくくられています。
この点は、まさに南無阿弥陀仏のはたらきの中で生かされているわたしと重ね合わされます。
「この章の要約」の4点のことは、浄土真宗の教えという観点からみまして同意できる内容だと思います。
おかげさまで 今日も なもあみだぶつ



青い鳥