手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

真理はシンプルだが・・・

 

  「七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)」をご存じですか。お釈迦様よりも先に六人の仏がおられて、お釈迦様が七番目。この七人全員に共通する教えとされています。次のような偈です。

「諸悪莫作(しょあくまくさ) 衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう)

 自浄其意(じじょうごい) 是諸仏教(ぜしょぶっきょう)」

「諸々の悪をなさず、様々な善を行い、心を清らかにする、これが仏の教えである」

 初期仏典の『ダンマパダ』などに説かれています。この「七仏通戒偈」に関しては、中国の白居易(はくきょい)〈※七七二~八四六年、唐の詩人・『長恨歌』が有名〉と鳥窠道林(ちょうかどうりん)〈※七四一~八二四年、唐代の禅僧の有名なエピソードがあります。

 鳥窠(鳥の巣)と呼ばれたお坊さんが中国にいました。木の上で座禅を組んでいました。

「おー危ないぞー」と白居易が叫んだら、「お前こそ危ないぞー」と返します。

 白居易は木の上が危ないと言っているのですが、鳥窠道林は「お前の生き方はそれでいいのか」という意味で言っています。そして白居易が鳥窠道林に、仏の教えとはどのようなものなのかと聞きますと、この「七仏通戒偈」を口にしたそうです。白居易はすごくがっかりして、「そんなのは三歳の子供でも知っていることを、八十になっても実践できないじゃないか」と説くのです。

 哲学者のロバート・フルガム〈※一九三七年~、米国の作家・哲学者〉の著書『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂漠で学んだ』を連想しますね。真理はいつもシンプルなんだ、でも実践できないだろ、というわけです。

【歎異抄 救いの言葉 釈撤宗 文藝春秋 P76,P77より】

 

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 「真理はシンプルだが、実践できない」という箇所に注目できます。頭で理解したつもりでも実益(浄土真宗でいえば「信心」)が伴わなければ、本当にわかった、本当に知らされた、ということにはなりません。

 南無阿弥陀仏のはたらきに気付くか否か、とてもシンプルです。シンプル過ぎて疑ってしまうのか、あるいは、わたしの自信やプライドが邪魔をしているのか、はたまた・・・。さてどうなのでしょう。

 おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏

 

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出典:古城山荒村寺(曹洞宗)ブログ

https://www.kosonji.com/buddhismepisode/bep35.html