手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

確信する

「確信する」は
政治家の釈明会見等でよく耳にする言葉です。
十中八九、その確信は裏切られます
「確信している」と発する本人自身、ほとんど希望的観測に立っているように思います。
「確信する」は、自分中心の言葉です。あてになりません。
ハッキリしていれば、確信する、必要はありません。
「ハッキリしている」ということを、別な言い方でいいますと
「知らされている」とか「気付かされている」という表現ができます。
阿弥陀さまの南無阿弥陀仏に気付かされている人は
敢えて、私は、阿弥陀さまに救われている、と確信する必要はありません。
もし、そういう人がいるならば、阿弥陀さまの温もりを感じていない人ではないでしょうか。
晴天下に身を置いている人が、「今日は晴れていると確信する」と言うでしょうか。
「今日は、天気がいいなあ」とか「気持ちいいなあ〜」という言葉がでるのが自然です。
南無阿弥陀仏のおはたらきに気付かされている人は、南無阿弥陀仏とお念仏が自然にこぼれます。
おかげさまで 今日も なむあみだぶつ