手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

咬み合わない

 「方法」という言葉の意味をあらためて国語辞典でみてみますと、「目標に達するための手段。目的を遂げるためのやり方。てだて」とあります。すでに届いているもの(南無阿弥陀仏のはたらき)に対して、「方法」という言葉がでてくる余地は微塵もありません。南無阿弥陀仏のはたらきの中で生活している私としましては、そのはたらきに気付かされるか否か、というところが問題になってきます。
 例えば、私の目の前に花束を差し出されている状況で、どのようにすれば目の前の花束を受け取れるのかと「あ〜だ、こ〜だ」と悩んでいる人はいるでしょうか。もしそのような人がいたら、よっぽどのヒネクレ者でしょう(笑)。この場合は、「どうもありがとう!」と素直に(花束を)受け取ればよいだけです。阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のはたらきも然りです。
 阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のはたらきを語る上で、「方法」という言葉は馴染みません。それは何故か?それは、このいま、ここで、わたしは、南無阿弥陀仏のはたらきの真っ只中で生活しているからです。才市さんが、「聞いて助かるじゃない 助けてあるをいただくばかり」と、いわれている通りであります。
おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏