手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

「南無阿弥陀仏」とは、具現化した如来そのもの

 「南無阿弥陀仏」とは、具現化した如来そのもの、「宇宙一切のはたらき」です。そのはたらきを「他力廻向」といいます。そのはたらきをいのちの根底にして、私たちは生かされて生きているのです。その「宇宙万有一切のはたらき」が私たちに無条件で与えられていると、念仏詩人、西教恵さんは詠ってくださっています。何の選びも無く、まさに無条件に「生きるに必要なもの」が、いのち有るものに与えられているのです。「南無阿弥陀仏」の具体的はたらきと言ってよいでしょう。


  無条件   西教恵
私どもが生きている世界で
絶対に必要なものは
無条件で与えられている
太陽の光
空気

大地
そこに草木は生きている
動物も生息している
その中で人間は
小さな価値を争って
苦しんでいる
(竹下哲『歎異抄を光として』葦書房刊より)


 妙好人詩人、浅原才市の詩にも、「世界虚空がみなほとけ わしもその中 南無阿弥陀仏」とあります。この世の一切が仏さまの活動の相(すがた)だということです。そういう仏のはたらきの中に生かされて生きているのが、私たちだということです。そういう事実を目の前にしながら、それに気づかずに、あるいは「あたりまえ」と思って生きているのが、私たちの姿です。そこに人間のおごりがあるのでしょう。そのことに気づかせていただくことが大事なことです。そのことに気づくかどうかが、「信心」の問題であり、本願寺中興の祖、第八代の蓮如上人の言われる「後生の一大事」ということです。
【いのちの大地に樹つ 谷川理宣 法蔵館 P72、P73より】



阿弥陀さまに生かされている命だからこそ、命は尊いのです。



               大地の上で