手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

阿弥陀さまご自身の声

 「南無阿弥陀仏」とは「阿弥陀さま、どうか救ってください」とお願いするおまじないの言葉のように思うかもしれませんが、そうではありません。
 南無阿弥陀仏の「南無」は「信じる、おまかせする(帰依する)」を意味します。「阿弥陀」は「量ることができない」という意味で、無限のいのち(無量寿)と量り知れない光明(無量光)のことを指します。
 したがって、「南無阿弥陀仏」というのは「無限のいのちと光明をそなえた仏さまを、私の人生のよりどころとして信じ、おまかせします」という意味なのです。
 そして、実はこれは「どうか私にまかせておくれ」という阿弥陀さまご自身の声。ですから、私たちが「南無阿弥陀仏」と称えるのは「阿弥陀さまの願いが私に届きました。ありがとうございます」と感謝の気持ちをお示しするためです。
 つまり、阿弥陀さまはつねに私たちを見守ってくださっている。どんなときもわたしたちに寄り添って、「救いたい」とおっしゃるのです。
 愚痴ばかり出るような私たちの口からでも「南無阿弥陀仏」がこぼれたら、それは私に徳があるからということではなく、阿弥陀さまのおはたらきが私のところにもいたり、届けてくださっているということを表します。私の口からこぼれた「南無阿弥陀仏」が私の耳に入ってきたときには「まかせよ、必ず救う」という阿弥陀さまの声からこぼれた「南無阿弥陀仏」として聞かせていただきます。
 浄土真宗では「信心」が大切であると説きますが、信心とは「疑いなく聞く」ことをいうのです。
 したがって「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えるということは、つねに私を心配してくださる阿弥陀さまの呼び声の中に生かされてゆくということなのです。
【わたし、住職になりました 三浦明利 アスペクト P107,P108より】


【プロフィール】
三浦明利(みうら あかり)1983/5/9生
龍王光明寺住職(浄土真宗本願寺派・奈良教区 吉野北組)
シンガーソングライター/作家


【著者(三浦明利)コメント】
未熟な自伝的エッセーですが、本書により、これまでにご縁のあったすべての方々に感謝の意を表すと共に、どなたかが仏教に触れる機会になればと願います。
三浦明利(みうらあかり)OfficialWebsite より
 http://miuraakari.com/profile/



“私の口から「南無阿弥陀仏」がこぼれる”
他力のお念仏をうまく表現した言葉だと思います。
『お念仏が自身の口からこぼれる』まことにありがたいことです。
阿弥陀さまのおはたらきがひしひしと感じられます。