手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

因幡の源左

 後年、源左は 棚田この にこのように語っております。突如としておそいかかってくる死のおそろしさ、そして死んだら一体どうなっていくのだろうかという、まるで闇のなかをのぞくような不安が、ひたひたと心に迫ってきたのです。父親は「親をさがせ、親にすがれ」といったが、どうしたら真実の親にあえるのか、親にすがるとはどうすることなのか、源左は手次の寺の願生寺をたずねて、住職の芳瑞師にいくたびもいくたびも問いただしました。しかし聞いても聞いても何の解答もみいだせなかったのです。


 真実の親さまとは、阿弥陀如来である、親さまにあうとは、その本願を信じ、念仏することであり、親さまにすがるというのは、この身も心も、生も死も、そっくりそのまま親さまにおまかせすることである、と聞かせていただいて、頭のなかではわかったつもりで、やれやれそうであったかと思っていると、あるとき、ふっと心にしのびよるえたいの知れぬ不安におびえて、また何もかもわからなくなってしまうことがしばしばありました。いてもたってもおれなくなって、夜中にとびおきて願生寺の門をたたき、夜を徹して芳瑞師にききただしたこともありました。わざわざ京都にまでのぼって、そのころ学徳兼備の名僧として有名だった原口針水和上に、一週間ばかりつきっきりで問いただしたこともあったようですが、しかし一向にらちがあきませんでした。


 そんな、もんもんとした不安とあせりに心がいられるような日々が十年あまりもつづきました。そして三十歳を過ぎたある夏の朝のことです。源左はいつものようにまだ夜の明けきらぬうちに、牛をつれて裏山の城谷へ朝の草刈りにいきました。朝日がのぼるころ、刈りとった草を幾つかにたばね、それを牛の背にのせて帰るのですが、みんなのせたら牛がつらかろうというので、1把(わ)だけは、自分が背負って帰りかけました。ところが疲れがでたせいか、急に腹がいたんでどうにもならなくなったので、背負っていた草のたばを、牛の背に負わせました。自分はすーっと楽になったのですが、その瞬間、心が開けたのです。
 「ふいっとわからしてもらったいな」
と源左は後々まで語っております。


 おれが背負っていかねばと、きばっていた草のたばを、牛の背にまかせたとたんに、手ぶらになった自分は、うそのように楽になったのです。そのとき、私のこの生と死のすべてをしっかりと支えて、「お前の生死は、すべてこの親が引きうけるぞ」とよびつづけていたまう阿弥陀如来のましますことを、全身で「ふいっと」気づかせてもらったというのです。
 自分の意識や思想をつきぬけて、私の生命の全体が、途方もなく大きな如来の御手にいだかれ、支えられているという、広々とした如来の大悲の御はからいの働く領域を実感せしめられたのでした。
妙好人のことば 梯 實圓 法蔵館 P104~P107 より】



「ふいっとわからしてもらったいな」印象的なことばです。
話は変わりますが
ここで、語られていることは、あくまでも源左さんの場合です。
源左さんが語っているように「まるで闇のなかをのぞくような不安が、ひたひたと心に迫ってきた」とならなければならない、もしくは同じような気持ちにならないと救われない、といった思いや考えがあるとすれば、それは間違いです。
人の顔形、性格が様々なように、阿弥陀さまは、ひとりひとりそれぞれに、はたらきかけてくださっています。
南無阿弥陀仏は、私(自分)の計らいを超越しています。
阿弥陀さまと真向きにさせて頂くことが肝心です。