手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

すべての人(生きとし生けるもの)が対象

 大乗経典はそれぞれ特色のあるもので、簡単にまとめることはできませんが、その要点としていえることは、それまでのように、世俗の生活をすてて僧院に入って修行したり教えを学んだりすることを宗教的に優れた在り方と見るのではなくて、むしろ世俗の生活のなかでこそ本当の宗教的な在り方が実現されるべきだとする考え方が基本的にあるということです。
 例えば、大乗経典のひとつである『維摩経』にはその考え方がよく示されています。在俗の仏教徒である維摩居士(ゆいまこじ)は、舎利弗(しゃりほつ)や文殊もんじゅ)といった出家した釈尊のお弟子や聖者を相手に、仏教の真髄について自由な問答を展開し、その人たちよりすぐれた深い理解を示します。そこには、職業・身分・性別などの制約にとらわれず、すべての人びとを宗教的自覚に導こうとする大乗仏教徒の強い願いが表現されているのです。
 大乗仏教は、「一切衆生悉有仏性(しつうぶっしょう)」といって、すべての人がさとりに到達することができるとしています。これは仏教の普遍性を示そうとするものにほかなりません。また、浄土経典には、苦悩に沈む衆生を救済しようという願いをたてて修行にはげむ菩薩や、あらゆる苦しみや煩悩から離れた安楽の浄土が語られています。これは人間というものが、地位や、名誉、財産などに関係なく、そのままの在り方にとどまるかぎり苦悩から解放されず、どれほど幸福に見えてもそれはつかの間のものであって、現世には本当の幸福はないこと、真の幸せはそうした現実の生を超えたところに見い出されるものであり、仏陀世尊の教えは、まさにそのような現世の否定をとおして一層高い肯定に導こうにとするものであることを言おうとしているのです。現世否定ということは、世界宗教のひとつの特色ですが、大乗仏教はその精神に貫かれていると同時に、より高い肯定の境地をも明らかにしています。
 また『涅槃経』という経典には、何の善根ももたない者も成仏することができるという教えとともに、如来は常住で変易(へんやく)することがないという教えが示されています。これは釈尊のさとりが永遠不変の真理をさとったものであることを言うと同時に、そのさとりへどんな人間でも到達することができるということを言おうとしていると考えられます。
【宗教 二年次(学習課程)中央仏教学院通信教育部テキスト 執筆者:石田慶和、寺川幽芳 P99〜P101より】
※一切衆生悉有仏性・・・すべての衆生に本来さとりに達する本性があるということ