手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

宗教の存在理由

 宗教は危機に根ざすということを考えましたが、そうした人間の直面する危機的状況の根源は、実は人間それ自身が危機的存在に他ならない、という事実にもとづいていることがわかります。
 つまり、言葉を換えていえば、人間の有限性とでも申しましょうか、生まれつき自己保存の本能を与えられ、何時いつまでも生き続けたいという強力な欲求に駆りたてられて生きているにもかかわらず、必然的に、老いと病のはてに死なねばならぬという根本的な矛盾に生きているのが、人間のありのままに他ならないのです。そして、このような人間であることそのことに根ざす危機的状況の根本的な解決を、「宗教」と呼ぶことはすでに学んだところです。
 したがって、宗教は、人間存在の根本にかかわるものであり、その意味では、宗教は本能であるとはいえないとしても、人間が人間であることの一つの証としてもっている本能と、きわめて密接な関係をもっていることを認めなければなりません。換言すれば、宗教は人間の一部としてある本能ではなく、本能をもつ生物としての人間そのものに根ざしているともいえましょうし、これを人間の状況からとらえていえば、人間生活の危機に根ざしているともいえましょう。
 もっとも、人間がその個々の生活において直面する危機というものは、生きている時代の社会的状況や、人びとの個人的な条件によってさまざまな差異がありますし、欲求といい、障害といっても、それが個人の生においてもつ意味や重さは、きわめて個人的な色あいが濃く、決して画一的なものではありません。また、人間が障害に直面し、そこに危機を感じるだけで、宗教が発生したり宗教が求められるとも限りません。さまざまな欲求をもち、さまざまな危機に直面するなかで、それらが、人間のありのままの暗い深みにあって、宗教的解決を必要とする人間の根源の問題に根ざしているという事実に目をむけることがなければ、おそらく、その人は宗教と無縁に過すことでしょう。けれども、それは、自らの身体をむしばんでいる病に気づかぬ人と同じように、悲しく、愚かなことといわなければなりません。
【宗教 一年次 学習課程 中央仏教学院 通信教育 執筆者:石田慶和,寺川幽芳P28,P29より】



すでに届けられている南無阿弥陀仏
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なむあみだぶつ。