手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

自ら拒絶

平生業成とはこの私の今ここに存在している場の外に往生の決定する場はあり得ないことを意味する。何故であろうか、勿論、浄土真宗の第一前提である本願成就がより先になっているからである。
それは具体的にいうと救いの法が自ら求める先に既に与えられているからである。平生ということは『古語辞典』にも「不断」と同義である。
不断とはあたかも水道の如くである。夜中でもボタン一つで水道の水は出る。しかしこの水は水源地からボタンをおしてくると、相当の時間がかかる。
直ちに出ることは既に水源地でなく、とどいているからである。このとどいているものをボタンによって閉塞しているのである。
信心は宗祖も信楽開発という。開発は閉塞に対する言葉である。
すでにとどけられているものを自ら拒絶しているのである。
蓮如上人の生涯とその教学の大綱 稲城選恵 探究社 P52,53より】


【手品師コメント】
非常に分かり易い表現ですね。
ただ、水道の蛇口をひねれば水は飲めるのです。
すでに、水は届いているのですから。
阿弥陀さまのお救いでいいますと、
自分の力で蛇口をひねっているように思いますが、
それも、実は阿弥陀さまのおはたらきなんですね。