手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

仏になれる証拠

南無阿弥陀仏の名号こそ、私たちがまちがいなく仏になれる証拠であります。
阿弥陀様というのは実にこの名号のことなんです。南無阿弥陀仏を別にして阿弥陀様はどこにもいらっしゃいません。
南無阿弥陀仏はわれらが往生の定まりたる証拠なり」(「御文章」四帖八)と蓮如上人がおっしゃったのはそのことであります。
だから、私たちはどこかよそに仏様を探す必要はありません。私の口からたった今出てくださっている、この名号以外に如来様はどこにもないと言っていいんです。
これが実に浄土真宗の教えのエッセンスであります。


南無阿弥陀仏を忘れて仏様を外に探したって見つかりません。
また、自分の心の中をいくら探したところで自分の妄想・妄念にしか出会うことはできません。思っても思わなくても私たちの心にあるのは妄想ばかりです。
だから、法蔵菩薩が、自分が南無阿弥陀仏という名号、つまり言葉となって呼びかけたらそんな凡夫でも必ず目を覚ますということに気づかれ、安心して阿弥陀仏となっていらっしゃるのです。
その名号を聞いたら、あぁ私はもう何の心配もなかったということがわからせてもらえます。
【宿業と自由 『歎異抄』第十三条 大峯 顕 百華苑 P15,16より】