手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

必ず届く

要するに(歎異抄十三条は)、自分の小ざかしい自己反省と、これで良いのだという自己義認、そんなものは全部忘れてしまえ、そういう自分の計らいをすっかり忘れて如来様の本願に任せていけと、言われているのです。
他力の信心というのは、そういう意味で自分を忘れてしまうことだと言えると思います。
自分を忘れて如来様に自分をまかせるということが信心です。
如来様の心に私の心が溶かされるんですね。助かったということは溶けたということなんです。
しかし、それは私の方から仏に成ることじゃなくて、仏様の方が私になって下さることです。煩悩具足の私に如来様のお心が届いたということです。
煩悩具足の凡夫に何としても自分をわからせたいというのが如来様の一すじのお心だから、必ず届くのです。必ず届く。
【宿業と自由 『歎異抄』第十三条 大峯 顕 百華苑 P68より】


【手品師コメント】
阿弥陀さまのお心、おはたらきは必ずわたしに届きます。
すでに南無阿弥陀仏は用意されておられます。
ですので、何の心配もいりません。
素直に「ハイ どうも!」でよいのです。