手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

方向が逆さま

私たちの普段の生活は、何らかの情報や説明書を自ら理解し、それに基づいて行動し、それなりの結果を得るというパターンで成り立っています。
例えば、電車の時刻表を見て、目的地に予定の時間に到着するとか、商品の広告を見て物を買うとか、私たちは、まず理解し信用して行動すれば結果が出るというパターンに慣れ親しみ、それが習性となっています。
ですから、ついついその習性に基づいて、阿弥陀さまの救いを理解しようとしてしまいます。阿弥陀さまが救うという教えを理解し、それを私がなんとかして信じようとし、その結果、救われたという実感を得たいと思ってしまうのです。「第十八願」には、阿弥陀さまが「われを信じ、わが名を称えるものを必ず仏にするぞ」と誓われています。そこで私たちは、日頃の習性から、私が「信じなければ」「称えなければ」救われないのだと思ってしまいます。
けれども、これは、私たちの願いではなく、阿弥陀さまからの願いです阿弥陀さまが、どうあっても私たちに信じさせ称えさせて必ず仏にしてみせると誓われているのです。ですから、私が信じようと力むことから出来上がった信とは根本的に違うのです。言わば、方向が逆さまなのです。
【ひらがな正信偈 森田真円 本願寺出版社 P43,44より】


【手品師コメント】
非常に分かり易く紹介されていますね〜。