手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

信心をとるということ

信心をとるということは「自力の心をすてて一心に弥陀をたのむ」のであり、自らのはからいをすてるのである。自らの救われる救われないという心配は、すべて弥陀の仕事である。本願の受持となっているのである。しかも自力の心をすてることは、自らにおいては不可能である。あたかも自らの眼によって自らの眼を見んとするがごとくである。
自らの往生の問題は、すべて弥陀の本願の上にあり、その成就せる名号が、この私の存在するところには、いつでも、どこにでも与えられるのである。自らのたすかる法である名号が、自らが求めるのに先行して与えられているのである。
蓮如上人のことばP52−P53 稲城選恵和上 法蔵館より】


【手品師コメント】
阿弥陀さまに、ただただおまかせするしかありません。