手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

2011-01-01から1日間の記事一覧

信心をとるということ

信心をとるということは「自力の心をすてて一心に弥陀をたのむ」のであり、自らのはからいをすてるのである。自らの救われる救われないという心配は、すべて弥陀の仕事である。本願の受持となっているのである。しかも自力の心をすてることは、自らにおいて…

善知識≠教祖さま(カリスマ)その1

善知識だのみは、すでに根本仏教の上でも否定されていることが明らかに知られる。多くの宗教のごとく仏教は教祖宗教ではない。カリスマ的存在を是認しないところにその特色がある。四依(しえ)の中にも、はじめに「人に依らずして法に依れ」とある。 【蓮如…

善知識≠教祖さま(カリスマ)その2

善知識の分限と領域を誤ると善知識はカリスマ的存在になり、教祖化する。それゆえ、その分限と領域を明らかにして、「善知識の能といふは一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしとひとをすすむるばかりなり」とある。 【蓮如上人のことばP45 稲城選恵和上 法…

教祖さまの脳内

作成元:脳内メーカー